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2009年3月

新たなステップへ

25日、久しぶりにブルーナさんに手紙を出した。ちゃんと届くかな。

26日、みのりんさんとさおりちゃんと吉祥寺の茶の愉でお茶をする。長い時間たくさんおしゃべりして楽しかった。いつも色々と大切なことを気づかせてくれる人達。
ネット解約しました。しばらく不便です。

27日、卒業式でした。2時間半の長い卒業式。名物の26言語の卒業証書授与が見られました。久々に会うコリア科の同期。みんな袴やチョゴリで着飾って可愛かった。でもコリア科はやっぱり私の居場所じゃなかったなあと感じた。後悔と満足の入り混じった大学5年間は貴重な毎日でした。その足で外務省に書類を取りに行った。これでようやくビザの手続きができる。

29日、春ちゃんとランチ。井の頭線沿いには桜が咲き始めた。いい天気で吉祥寺の街はとてもきれいにみえた。好きな街です。そして楽団最後の練習。指揮者、メンバーの皆さんに感謝!本当に素敵な仲間です。この場所は日本を離れることをためらわせる…。また帰って来られるかな。

今新たなステージへの準備期間です。

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ディック・ブルーナとの出会い

うじうじと考えながら、ふと去年出場したオランダ語スピーチコンテストの原稿を読み返してみました。今週大学の学生表彰で、スピーチコンテストの成績を表彰していただけることになりました。オランダ語は、私が大学に行って勉強したことの証です。(朝鮮語ではないんですね・・・。)オランダから帰国してまだ間もない頃に書いた原稿を今読み返してみて、オランダへの、ブルーナさんへの強い思いを思い出しました。それにしても今、同じものを書け・話せと言われても絶対出来ません。すっかり落ちた私のオランダ語力。悲しいです。

以下、スピーチの日本語訳です。

ディック・ブルーナとの出会い

みなさんは子供のころの夢を覚えていますか。

私の子供のころの夢はオランダに行く事でした。そしてディック・ブルーナと話をする事でした。今年、その夢が現実になったのです!

私は小さい時、ディック・ブルーナの絵本が大好きで、オランダにあこがれていました。ディック・ブルーナは世界的に有名なアーティストなのでおそらく彼について多くをお話しする必要はないでしょう。3年前、私は初めて私のあこがれの国であるオランダを訪れ、ディックj・ブルーナに会おうとしました。彼は毎朝同じカフェにコーヒーを飲みに来ると以前聞いていました。幸いにも私はそのカフェを見つけることができ、そのカフェの前で彼を待つことにしました。そこで待っていると、中から女性の店員が出てきました。彼女は私に「もしかしてディック・ブルーナを待っているの?」と尋ねました。私は「そうです。」と答えました。私はその時、多くの日本人が私のように彼に会いにやってくるんだと思いました。さらに彼女は「残念だけど、彼は今朝はもう行ってしまったわよ。」と言いました。私はそれを聞いて落ち込みました。幸運にも、彼女は親切に私の持っていた手紙とプレゼントをディック・ブルーナに渡してくれると申し出てくれました。オランダへの旅から戻ったある日、私は郵便受けに、差出人の名前のない手紙を見つけました。それはディック・ブルーナからの返事だったのです!私ははじめ彼から返事をもらったことが信じられませんでした。なぜなら彼は世界的に有名なイラストレーターだからです。私は彼のあまりの親切さに感動しました。私はますますオランダに惹きつけられました。

去年、私はライデン大学で1年間オランダ語を学ぶために再びオランダを訪れました。到着してからすぐ、私は日本人が彼のために催したバースデーパーティーの通訳をするチャンスを与えてもらいました。私はそこでディック・ブルーナに初めて会いましたが、彼は私が想像していたとおりの人でした。私のオランダ語はその時まったくだったので、ずっと英語で話していましたし、個人的にお話しする時間もほとんどありませんでした。しかし、もう一度会って、その時はオランダ語で話すことを約束しました。大学での勉強は思っていた以上に大変でしたが、いつも誰かが助けて励ましてくれました。少しずつオランダ語でブルーナに手紙が書けるようになりました。私のオランダでの一年間はあっと言う間にすぎさり、期末試験後に、彼に電話をしてユトレヒトのアトリエを訪れる約束をしました。前日の夜はドキドキしてよく眠ることができませんでした。その日、私たちは彼のアトリエでオランダ語でたくさんの話をしました。たとえば、私のオランダでの生活について、日本とオランダについて、彼の作品について・・・。その日、子供のころの夢が本当にかなったんだと感じました。

私には今新しい夢があります。将来ディック・ブルーナの街であるユトレヒに住むこと、そしてオランダ語の子供の本を日本語に翻訳することです。これらの夢を実現することは難しいですが、オランダでの生活を通して、私は自分を信じる力、夢を実現するために挑戦し続ける力を得ました。決してあきらめなければ、いつか必ずチャンスが訪れる、私は今そう信じています。

ディック・ブルーナがオランダ人でなかったら、私がオランダに来ることはなかったでしょう。今ではディック・ブルーナだけでなく、オランダ人やオランダが大好きですし、生涯を通してオランダと関わっていきたいと思っています。

最後に、私をオランダへと導いてくれたディック・ブルーナ、私を一年間経済的・精神的に支えてくれた両親、友達、そしてオランダで出会ったすべての人に心から感謝します。

ご静聴ありがとうございました。

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Ontmoeting met Dick Bruna

Herinneren jullie jullie jeugddromen?

Mijn jeugddroom was om naar Nederland te gaan. En om met Dick Bruna te praten. Dit jaar is deze droom werkelijkheid geworden!

Toen ik klein was hield ik van prentenboeken van Dick Bruna en verlangde ik naar Nederland. Dick Bruna is een wereldberoemde artist, en daarom hoef ik waarschijnlijk niet veel over hem te vertellen. Drie jaar geleden ben ik voor het eerst in Nederland, mijn verlangde land, geweest en heb ik geprobeerd hem te ontmoeten. Ik had vroeger gehoord dat hij elke ochtend naar hetzelfde cafe komt om koffie te drinken. Gelukkig genoeg wist ik op een of andere manier dat cafe te vinden en besloot ik om voor het cafe op hem te wachten. Terwijl ik daar stond te wachten kwam er een serveerster naar buiten. Zij vroeg mij, “Wacht je misschien op Dick Bruna?” ik antwoorde;  “Ja.” Ik dacht toen dat er veel Japanners, net zoals ik, hier naartoe kwamen om hem te ontmoeten. Vervolgens zei ze; ”Helaas is hij van morgen net weg.” Ik was teleurgesteld dat te horen. Gelukkig was de serveerster zo aardig aan te bieden om het cadeautje en de brief die ik bij me had aan Dick Bruna te overhandigen. Op een dag na mijn reis naar Nederland vond ik een brief in de brievenbus waarop geen naam van verzender stond. Het was antwoord van Dick Bruna! Ik kon eerst niet geloven dat ik van hem antwoord kreeg, want hij is een wereldberoemde tekenaar. Ik was ervan onder de indruk hoe aardig hij was. Steeds meer voelde ik me aangetrokken door Nederland.

Afgelopen jaar ben ik weer naar Nederland gegaan om een jaar aan de Universiteit Leiden Nederladns te studeren. Vlak na mijn aankomst kreeg ik de kans om als tolk te werken op een verjaardagsfeest van Dick Bruna dat japanse fans voor hem zouden geven. Ik heb Dick Bruna daar voor het eerst ontmoet en hij was precies zoals ik me had voorgesteld. Mijn Nederlands was toen helemaal niet goed genoeg dus ik heb hele tijd in het Engels gesproken en ik had bijna geen tijd om persoonlijk met hem te praten, maar ik maakte een afspraak om hem nog een keer te ontmoeten en om dan in het Nederlands te praten. De studie aan de universiteit was veel zwaarder dan ik had verwacht, maar er waren altijd mensen die me hielpen en aanmoedigden. Langzaam werd ik goed genoeg om in het Nederlands brieven te kunnen schrijven aan Bruna. Mijn jaar in Nederland is snel voorbij gegaan en na mijn eindexamen heb ik hem opgebeld en een afspraak gemaakt om zijn atelier in Utrecht te bezoeken. De nacht ervoor kon ik niet goed slapen omdat ik heel zenuwachtig was. Op die dag hebben we in zijn atelier veel in het Nederlands gepraat. Bijvoorbeeld over mijn leven in Nederland, over Japan en Nederland en over zijn werk... Het voelde echt alsof op die dag mijn jeugddroom werkelijkheid was geworden.

Ik heb nu een nieuwe droom. Ik wil in de toekomst in Utrecht, de stad van Dick Bruna gaan wonen en Nederlandse kinderboeken in het Japans vertalen. Het is moeilijk deze droom te realiseren maar doormijn leven in Nederland heb ik de kracht gekregen om in mezelf te geloven en door te gaan te preberen mijn droom te verwezenlijken. Ik geloof nu dat als ik nooit opgeef, er op een dag zeker een kans zou komen.

Als Dick Bruna geen Nederlander was geweest zou ik niet naar Nederland zijn gekomen. Nu vind ik niet alleen Dick Bruna, maar ook Nederlanders en Nederland zelf heel leuk, en wil ik graag mijn hele leven lang met Nederland te maken hebben.

Ten slotte wil ik graag Dick Bruna die me naar Nederland heeft geleid, mijn ouders die me een jaar financieel en moreel hebben gesteund, mijn vrienden en alle mensen die ik in Nederland heb ontmoet vanuit de grond van mijn hart bedanken.

Dank u voor uw aandacht.      

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会いたくなった

結局、今回も練習に行けず。あと1回しかいけなくて悲しいです・・・。

機能語「~わりには…」の定義&導入を考えてたら、すごい時間がたっていました。自分の中で完璧に定義や使い分けが分かっていてもそれを学習者にわかることばで伝えるのってかなり難しいです。今回は他にも「生い立ち」「振り返る」「深い」を取り上げます。「生い立ち」は『ホームレス中学生』を題材に使うことにしました。ボツ覚悟で教案書いたら通りました。といっても私自身ちゃんと読んだことがなかったのでアマゾンのセカンドハンドで注文しました。図書館は100人以上予約が入ってたので…。引っ越し前に本を増やしたくないけど仕方ないです。

引越準備もぼちぼち始めました。ダイニングテーブルを処分しないといけなくて、引き取り先に結構苦労しました。よくポストに入ってる不用品回収の会社に見積もりに来てもらったら、モノ自体は2000円くらいだけど、人件費と車代で8000円かかります。って言われてびっくり。困って駅前のリサイクルショップに自転車で行ったら、「ああいう業者は、ひどいよ~。」とお店のおじちゃんが言ってました。皆さんもチラシに騙されないでください!お金にはなりませんがリサイクルショップで引き取ってもらえることになりました。一安心。

そして今日は結構友達にメールをしました。連絡を取って人に会う元気が出てきたので。宮崎に帰る前に、大事な皆にちゃんと会っておかなきゃです。

世の中思い通りにいかないことがたくさんあります。あるメールをもらって改めてそんなことを考えました。私だって「絶対オランダで暮らしたい!」と思っていますが確実な道も見通しも、もちろんうまい話も全然ありません。あこがれながらも結局「いやだいやだ」と思っている日本で生きていかないといけないかもしれません。日本の何がいやかと言われると最近また強く思うのが、「本音と建前」。私は人の気持ちを読むのが下手なので、本音と建前を巧みに使い分けるタイプの人とうまく付き合えません。「いやなことはいや」とその場で言ってくれないとどうにもできないです。知らぬ間にいやな気持にさせたらどうしようと考えると気が重たくなります。日本だと細かいことを気にしないといけないのも結構ストレスです。日々の暮らしを大切におおらかに生きていきたいです。

養成講座の授業が実習だけになったのでだいぶ時間の余裕ができました。出国前最後のリーディングをやっています。今回もGuus Kuijerを読んでいます。オランダ語を読むのはやっぱり好きです。

この時期飛行機も高いので、学生最後の思い出に18切符でフラフラ実家に帰ろうかなあと思っています。でも計画立てる時間があるのかなあ。だれか18切符でぶらり旅の経験がある方教えてください。私は大阪までは18切符で行ったことあります。

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あと少し、もう少し

気づいたら、一か月以上書いてなかった。

実習でいろいろとあってここのとこの口癖は「石になりたい。」でした。最近は、いろいろが一定の域をこえて、それが「笑い」「ネタ」に変わってきました。実習生皆、同じ気持ち。ひとりじゃなくてよかった。

今日で、12科目の履修条件をクリアしました。あとは実習2回を残すのみ。あと、少し。もう少し。息切れ気味です。

初級指導法の授業に行って、日付の模擬実習をしました。「ああ、早く帰りたいなあ。」と思いながら、帰りのエレベーターを待っていたら、いつも実習のクラスに来ているモデルスチューデントとばったり会いました。そしたら「先生、こんにちは。」と挨拶されました。「先生」と自然に呼んでくれたことがうれしかったです。私なんてまだまだ未熟な実習生なのに。

明日8時までに教案・まとめと宿題を出さねば。楽団の練習に行けるのもあと2回なので、夕方までに終わらせたいです。終わるかな・・・。いつも終わらなくてギリギリです。

ドキドキの卒業発表も、ちゃんと名前があってあとは卒業式を待つばかり。

今はこの苦しみにたえて、済州に行くのが楽しみです。新しい生活、新しい出会い。それには別れもあるのだけど。

メールしたけど、返事がない。という方がいましたらご一報ください。ごめんなさい!ようやく心の余裕がでてきました。

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